『瞳の奥の秘密』(2009年/スペイン・アルゼンチン)~完全無欠、これが映画だ。~
2010年アカデミー賞最優秀外国語映画賞受賞作。賞の名に恥じない、紛れもない大傑作である。
脚本・キャスト・演技・カメラワーク・色調・フォーカス・編集・音楽。
これら映画を作る構成すべてが不可欠なピースとしてはまり、完璧な全体像を作り上げる。
ミステリ?サスペンス?人間ドラマ?いや、これは<映画>そのものだ。
例えば、ショットの完璧さ。
派手なショットの代表例は、ちょうど1時間の折り返し点に挿入される見事なワンカットの長回し。
決して策に溺れるのではなく、技法がそのシークエンスを演出する最高の方法論として吟味・実践されている。
ワンカット撮影のほぼ完璧な見本のような、最高のスリル演出ショットである。
一方で、一見何気ないショットだが、画角とフォーカスの絶妙な計算で映像的なメッセージを放つシーンも多い。
観客が無意識にも女性判事の胸元が気になってしまうショットからの一連は、
先の大技とは対極に位置しながらも、まったく別の意味で最高のスリルを演出する。
観客を瞬く間に引き込むオープニングから、これ以外は無いと言えるラストカットまで。
決め細やかな監督のたくらみが全編に溢れ、映画という表現のフルコースを満喫できる2時間10分が待っている。
伏線の巧みさと人物像の重層性も、映画として完璧に近い完成度に一役買っている。
犯人/被害者、被害者/その夫、夫/主人公、主人公/女性判事、女性判事/被害者、被害者/主人公、主人公/犯人、犯人/被害者の夫…全てが重なり合い、拡散し、見事に収斂していく様を観るのは、
まさに至福の映画体験であり、映画とは様々な視線の取捨選択の連鎖なんだと改めて感動。
とりわけ、犯人と被害者の関係性と主人公と女性判事の関係性を、共通する写真という要素で連鎖させ、
実は主人公と犯人の<愛の対象>へのまなざしは同質であると語る畏ろしさ・業の深さ。
そして、Aが打てないタイプライターをメタファーに、登場人物全員の満たされない想いを描き込む冷徹さ。
何故タイプライターのAは欠落しているのか?『瞳の奥の秘密』とは、一体誰の秘密なのか?
登場人物全員の人生の岐路となった事件未解決事件の謎解きを軸に、見事に描かれる重奏曲。
ミステリ?サスペンス?人間ドラマ?いや、これが<映画>だ。必見。
脚本・キャスト・演技・カメラワーク・色調・フォーカス・編集・音楽。
これら映画を作る構成すべてが不可欠なピースとしてはまり、完璧な全体像を作り上げる。
ミステリ?サスペンス?人間ドラマ?いや、これは<映画>そのものだ。
例えば、ショットの完璧さ。
派手なショットの代表例は、ちょうど1時間の折り返し点に挿入される見事なワンカットの長回し。
決して策に溺れるのではなく、技法がそのシークエンスを演出する最高の方法論として吟味・実践されている。
ワンカット撮影のほぼ完璧な見本のような、最高のスリル演出ショットである。
一方で、一見何気ないショットだが、画角とフォーカスの絶妙な計算で映像的なメッセージを放つシーンも多い。
観客が無意識にも女性判事の胸元が気になってしまうショットからの一連は、
先の大技とは対極に位置しながらも、まったく別の意味で最高のスリルを演出する。
観客を瞬く間に引き込むオープニングから、これ以外は無いと言えるラストカットまで。
決め細やかな監督のたくらみが全編に溢れ、映画という表現のフルコースを満喫できる2時間10分が待っている。
伏線の巧みさと人物像の重層性も、映画として完璧に近い完成度に一役買っている。
犯人/被害者、被害者/その夫、夫/主人公、主人公/女性判事、女性判事/被害者、被害者/主人公、主人公/犯人、犯人/被害者の夫…全てが重なり合い、拡散し、見事に収斂していく様を観るのは、
まさに至福の映画体験であり、映画とは様々な視線の取捨選択の連鎖なんだと改めて感動。
とりわけ、犯人と被害者の関係性と主人公と女性判事の関係性を、共通する写真という要素で連鎖させ、
実は主人公と犯人の<愛の対象>へのまなざしは同質であると語る畏ろしさ・業の深さ。
そして、Aが打てないタイプライターをメタファーに、登場人物全員の満たされない想いを描き込む冷徹さ。
何故タイプライターのAは欠落しているのか?『瞳の奥の秘密』とは、一体誰の秘密なのか?
登場人物全員の人生の岐路となった事件未解決事件の謎解きを軸に、見事に描かれる重奏曲。
ミステリ?サスペンス?人間ドラマ?いや、これが<映画>だ。必見。
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