『ライフ・イズ・ビューティフル』(1997年/伊)~グイドと花男~
アカデミー外国語映画賞ほか、数々の栄冠に輝くロベルト・ベニーニ監督・主演作。
この心温まる作品に、映画として革新的なものは何ひとつない。芸術的な完成度が高いわけでもない。
しかし逆にそれだからこそ、うちのカミさんや子供たちのような、
特に映画ファンでもない普通の人たちを笑わせ、ほろりとさせてくれる、真の意味での作品力が際立っている。
初めて映画というものを観た人が、感動できる。
それはとてつもなく難しい事だけれど、あのチャップリンの全ての映画がそうだったように、
この『ライフ・イズ・ビューティフル』も、そんな離れ業を成し遂げている、ここ十年来の名作である。
お調子者だけれども、やたらめったら頓知が働く主人公グイド。
高田純次も驚くテキトーなこの男のたったひとつの取り柄。それは、とことん大切な人を愛すること。
それだけは決して誰にも負けない。周りに迷惑をかけてしまうくらい、誰にも負けない。
次から次へと繰り出されるユーモラスなエピソードに笑わせられているうちに、
僕たちはグイドの大きくて優しくて暖かい、おとぎ話のような愛の物語に惹きつけられ、
そして、前半でたっぷりと描かれたグイドの愛嬌ぶりが、見事に映画のメッセージへと結びついていく。
「これは作り話だ。」「ありえないファンタジーだ。」
もしそう批判する人がいたら、僕はこう答えたい。「そう、その通りなんです!」と。
そもそも愛なんてものは手にとって確かめることなんて出来ないもの、究極の作りものかもしれない。
誰かと出会い、結ばれて子供が生まれて家族になる。これはもうファンタジーとしか言いようがない出来事だ。
僕たちは、実はそんな「作り話」のような「ファンタジー」を日々生きているのではないだろうか。
この映画が感動的なのは、そんな僕らの日常と地続きの幸せをとびっきり素敵な映画の嘘で描いてみせるから。
グイドは愛する人をとにかく笑顔にする。笑ってもらえるためなら、何だってやる。
心の中から不安な事や嫌な事(ドーラ、ジョズエのしゃっくりに粋に象徴されていた)
を取り除き、安心させてあげられることなら、全力をかけてやる。
笑顔がまるで、見えない愛や家族の絆というファンタジーを担保するものであるかのように。
ここで思い出されるのが、個人的にもうひとつ大好きな父子の愛情物語である松本大洋の『花男』である。
嘘か真か、伝説のスラッガーであるというテキトー極まりない中年親父:花男と、良く出来た息子:茂雄の親子譚。
この傑作コミックのラスト1ページを読んだ時の感動。それは今思い返しても鮮やかだ。
グイドと花男。方やスクリーン、方やコミックの日伊2大おおぼら吹き野郎どもの、深くて大きな愛の物語。
2作品につながりは全くないけれど、その虚実の行方は僕の中でひとつに結びついている。
そしてラストの暖かい感動は、確実に自分の女房・子供を笑顔にするパワーの源になっている…はずなんだけど、
実際のところはテキトーな部分だけが伝わって、父親としての威厳・頼りがいに関しては、はなはだ怪しい次第。
現実生活はやっぱりファンタジーだけじゃない!?
この心温まる作品に、映画として革新的なものは何ひとつない。芸術的な完成度が高いわけでもない。
しかし逆にそれだからこそ、うちのカミさんや子供たちのような、
特に映画ファンでもない普通の人たちを笑わせ、ほろりとさせてくれる、真の意味での作品力が際立っている。
初めて映画というものを観た人が、感動できる。
それはとてつもなく難しい事だけれど、あのチャップリンの全ての映画がそうだったように、
この『ライフ・イズ・ビューティフル』も、そんな離れ業を成し遂げている、ここ十年来の名作である。
お調子者だけれども、やたらめったら頓知が働く主人公グイド。
高田純次も驚くテキトーなこの男のたったひとつの取り柄。それは、とことん大切な人を愛すること。
それだけは決して誰にも負けない。周りに迷惑をかけてしまうくらい、誰にも負けない。
次から次へと繰り出されるユーモラスなエピソードに笑わせられているうちに、
僕たちはグイドの大きくて優しくて暖かい、おとぎ話のような愛の物語に惹きつけられ、
そして、前半でたっぷりと描かれたグイドの愛嬌ぶりが、見事に映画のメッセージへと結びついていく。
「これは作り話だ。」「ありえないファンタジーだ。」
もしそう批判する人がいたら、僕はこう答えたい。「そう、その通りなんです!」と。
そもそも愛なんてものは手にとって確かめることなんて出来ないもの、究極の作りものかもしれない。
誰かと出会い、結ばれて子供が生まれて家族になる。これはもうファンタジーとしか言いようがない出来事だ。
僕たちは、実はそんな「作り話」のような「ファンタジー」を日々生きているのではないだろうか。
この映画が感動的なのは、そんな僕らの日常と地続きの幸せをとびっきり素敵な映画の嘘で描いてみせるから。
グイドは愛する人をとにかく笑顔にする。笑ってもらえるためなら、何だってやる。
心の中から不安な事や嫌な事(ドーラ、ジョズエのしゃっくりに粋に象徴されていた)
を取り除き、安心させてあげられることなら、全力をかけてやる。
笑顔がまるで、見えない愛や家族の絆というファンタジーを担保するものであるかのように。
ここで思い出されるのが、個人的にもうひとつ大好きな父子の愛情物語である松本大洋の『花男』である。
嘘か真か、伝説のスラッガーであるというテキトー極まりない中年親父:花男と、良く出来た息子:茂雄の親子譚。
この傑作コミックのラスト1ページを読んだ時の感動。それは今思い返しても鮮やかだ。
グイドと花男。方やスクリーン、方やコミックの日伊2大おおぼら吹き野郎どもの、深くて大きな愛の物語。
2作品につながりは全くないけれど、その虚実の行方は僕の中でひとつに結びついている。
そしてラストの暖かい感動は、確実に自分の女房・子供を笑顔にするパワーの源になっている…はずなんだけど、
実際のところはテキトーな部分だけが伝わって、父親としての威厳・頼りがいに関しては、はなはだ怪しい次第。
現実生活はやっぱりファンタジーだけじゃない!?
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